首里城

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首里城は450年続いた琉球王国の歴史そのもの

 


 

沖縄のシンボルといえば首里城。鮮やかな朱色の建築物が印象的ですね。

 

 

琉球王国は450年も続きましたが、首里城は一度も変わることなく琉球王家の居城であり続けました。つまり首里城は琉球王国の歴史そのものなのです。



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首里城に行く前に少しお勉強

 

 

観光をより楽しむため、首里城に行く前に琉球王国について少し勉強していきましょう!

 

琉球王国てどんな国?

琉球王国は1429年から1879年まで450年もの長い間続いた王国です。最大版図は先島諸島から奄美群島まで支配下に置くほど広大でした。

 

 

今でこそ沖縄県の人口は150万人に迫る勢いですが、広大とはいえ小さな離島の集まりだった琉球王国は人口20万にも満たず、意外なほど小規模な王国だったそうです。

 

第一尚氏王統と第ニ尚氏王統

450年続いた琉球王国ですが、一度だけ王家が入れ替わっています。

 

 

第一尚氏王統の尚巴志は沖縄本島を統一し、1429年に琉球王国を成立させました。しかし40年後、王家の家臣であった金丸のクーデターにより第一尚氏王統は滅んでしまいます。

 

 

第一尚氏王統を滅ぼした金丸は尚円王と名を改め、1469年に国王に即位し第ニ尚氏王統を成立させます。その後1879年の廃藩置県による沖縄県設置まで第ニ尚氏王統は続きました。

 

 

琉球王国は貿易で栄えた

琉球王国は日本、明・清、朝鮮、東南アジアと中継貿易を行なっていました。他国から輸入したものを明・清に輸出し利益をあげて栄えていたのです。

 

 

この琉球の繁栄を謳っているのが「万国津梁之鐘」で首里城内に置かれています。

 

明との関係性

琉球は中国大陸を支配する明に貢物を献上する朝貢関係にあり、新たな国王が即位する場合は明の許しが必要でした。明との貿易を円滑にするためにはこの関係性が必要だったのです。

 

 

皇帝が新たな国王を任命することを冊封(さくほう)といいます。その任命を伝えに行く使者が冊封使(さくほうし)で、使節団は大規模なもので総勢400〜600人もの人数でした。

 

 

実際には明の皇帝が国王を任命していたわけでなく、琉球王国は独立国を維持しており、新たに即位する国王を決めたあと事後承認を得るための冊封使だったようです。

 

薩摩藩との関係

1609年以降、琉球王国は薩摩藩の支配も入ります。しかし薩摩は琉球を滅ぼすことはしません。明や清と貿易を許されているのは琉球国王のみだからです。

 

 

明としては黙って見過ごせない状況ですが、実は薩摩藩支配の直後に明は滅ぼされ王朝が清へ代わるタイミングだったのです。清としても国内がゴタゴタしており薩摩藩に構っていられません。

 

 

こうして琉球王国は薩摩藩の支配と清との朝貢関係を受け入れつつも独立国として独自の文化を保ち続けました。

 

神に仕える女性

琉球王国は祭政一致の国家で、男性は国王を中心に政治を、女性は聞得大君を中心に神事を司り、その役割はハッキリと分かれていました。

 

 

女性に霊力が宿ると信じられていた琉球では、男性は腕力で女性を護り、女性は霊力で男性を護るというイコールの関係性が成り立っていたのです。

 

聞得大君

政治と神事が一体となっていた琉球王国において、神女の最高位が聞得大君(きこえのおおきみ)です。代々王族の女性から選ばれ、聞得大君は最高権力者の国王に次ぐナンバー2の地位にありました。

 

 

聞得大君を頂点とする神女組織が成立したのは尚真王の時代。その後400年に渡り、おなり神として国王と琉球王国を霊的に守護し、また最高神女として神事と神女組織を取り仕切っていたのです。

 

御嶽

御嶽(うたき)は祭事をおこなう聖地です。首里城内にも十嶽はと呼ばれる10カ所の御嶽があり、お城であると同時に聖地でもありました。

 

 

神事の一切は女性がおこなうため御嶽は男子禁制の場です。国王であっても立ち入りはできず、どうしても立ち入る場合は女装をしたそうです。神様にはバレてそうだけど・・・。

 

琉球の文化

琉球は日本、中国(明・清)、朝鮮、東南アジアをまたにかけ貿易をおこない様々な文化にどっぷり触れていました。

 

 

つまり琉球の文化は他国の影響をミックスしたチャンプルーな文化なのです。中国色が強い首里城にも日本の文化も混ざっているのでどこか懐かしさを覚えるかもしれません。



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首里城の一般的なコース

 

 

首里城の敷地はかなり広く坂道や階段も多くあります。さっと見るだけなら30分くらいですが、すべてをしっかり見てまわるには1時間半〜2時間程度はかかると思います。

 

守礼門から正殿

守礼門から正殿の手前までは無料区域なので自由に見てまわることができます。

 

守礼門

 

守礼門(しゅれいもん)は首里城でもっとも有名な門なので聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。造りは中国の牌楼という様式です。中華街に行くとよく見る形ですね。

 

 

門に掲げてある守禮之邦(しゅれいのくに)は「琉球は礼節を重んじる国だよ!」というメッセージを伝えているのだとか。

 

園比屋武御獄石門

 

守礼門を通りまっすぐ進んで行くと左手見えてくるのが園比屋武御獄石門(せのひゃんうたきしもん)。王家の礼拝所で国王が旅に出る際に安全祈願をしたそうです。

 

 

門の形をしていますが人が通る門ではありません。門の奥には琉球信仰の聖地である御獄が広がり、神に通じる門であるのです。

 

歓会門

 

園比屋武御獄石門からまっすぐ進んでくると歓会門(かんかいもん)があり首里城の城郭に入る最初の門になります。

 

 

歓会は歓迎という意味で、冊封使を歓迎します、というメッセージから名付けられたそうです。

 

瑞泉門

 

瑞泉門(ずいせんもん)は第二の門です。門の手前にある湧き水に由来します。歓会門ができるまでは瑞泉門が第一の門だったそうです。

 

 

長い階段が曲線を描いて門に向かっておりお城の風格が感じられ個人的に1番好きな門です。スペースが広いので撮影スポットにもなっています。

 

 

 

瑞泉門にむかう階段の右側には龍樋(りゅうひ)と呼ばれる龍の彫刻があり口から湧き水が流れています。この湧き水は王宮の飲み水として使われていたそうです。

 

 

漏刻門

 

漏刻門(ろうこくもん)は第三の門。漏刻は水時計という意味だそうです。門の上の水槽から水が漏れる仕組みで、水面の高さの変化で時間を測っていたのだとか。

 

日影台

 

日影台(にちえいだい)は水時計の補助として、正午とその前後を計る目的で使用された日時計です。

 

 

太陽は季節によって昇る高さが違うので、二十四節気に合わせて台の角度を年に24回変えていたそうです。

 

万国津梁の鐘

 

万国津梁(ばんこくしんりょうのかね)の鐘には海洋国家として琉球の気概を謳った銘文が刻まれています。銘文の一部を抜粋すると、

 

 

「琉球は南洋の恵まれた場所で、優れた文化は集まるし、中国と日本とは仲良いし、この2つの国の中間にある理想的な島だよ。船を走らせ諸国の架け橋となって、国内は各国の宝物で満ちているよ」

 

 

という内容です。この気概は今でも生きており、沖縄がアジア・太平洋と日本の架け橋となる象徴として引用されています。

 

 

なお鐘は首里城正殿に掛けられていたそうですが、はっきりとした設置場所は分かっていません。どこにあったか分からないため、とりあえず日影台の横に置いているそうです。

 

広福門

 

漏刻門を通り右手にある広福門(こうふくもん)は第四の門です。

 

 

門と建物が一体となっており、建物の中には役所が置かれていたそうです。

 

首里森御獄

 

下之御庭にある首里森御嶽(すいむいうたき)は天上から神が最初に降り立った聖地で、琉球王国発祥の地という神話が残っています。

 

 

首里城を建てたあとに首里森御嶽を造ったのではなく、もともと首里森御嶽があった場所に首里城を建てたというわけです。

 

奉神門

奉神門(ほうしんもん)は正殿に入る最後の門。

 

 

3つある門の内、中央の門を通れるのは高官や冊封使など身分の高い人だけ。そのほかの役人は両側の門からしか出入りできませんでした。ちなみに観光客は中央の門から入場します。

 

有料区域

 

広福門が入場券の券売所となっています。ここから先は有料区域になります。

 

 

入館料金は大人820円、高校生620円、小中学生310円、6歳未満は無料。モノレール1日・2日乗車券を持っている場合は団体料金で入場できます。

 

正殿と御庭

 

正殿は二層三階建で琉球最大の木造建築物。日本の建築様式と中国の宮廷建築をミックスした琉球独自の文化が感じられる造りです。

 

 

正殿から伸びる道は浮道と呼ばれ、位の高い人や冊封使しか通ることができませんでした。

 

 

ところで正殿に対し正面を向いているはずなのに浮道は少し斜めになっている気がしませんか?気がするのではなく実際に斜めなんです。首里城を訪れたら確認してみてください。

 

 

斜めになっている理由は、実はよくわからないそうです。首里森御獄に向いて伸びている説、風水的な理由説など諸説ありますが記録が残っていないため謎のままです。

 

 

 

正殿の前には御庭(うなー)はと呼ばれる広場があります。首里城の中心で国王の即位式など重要な儀式が執りおこなわれました。

 

 

色違いのラインが鮮やかで独特です。このラインは役人達が偉い順に並ぶ目印になっていたそうです。

 

正殿内

 

正殿2階は大庫理(うふぐい)と呼ばれる空間で、王妃や身分の高い女官が使用していました。

 

 

 

正殿2階の中央には御差床(うさすか)と呼ばれる玉座があり格式の高い儀式に使用されました。

 

 

玉座の後ろに掲げられた中山世土は「琉球は中山(琉球国王)が代々治める土地である」という意味だそうです。

 

東のアザナ

 

東のアザナは東側の物見台で天気の良い日には久高島が見えるそうです。

 

有料区域から久慶門ルート

御庭、または東のアザナから右掖門に抜けるルートです。

 

右掖門

 

右掖門(うえきもん)を出ると無料区域に入ります。

 

久慶門

 

右掖門からまっすぐ進むと久慶門(きゅうけいもん)に着きます。正門の歓会門に対して、右掖門は主に女性が利用する通用門であったそうです。

 

 

現在の久慶門は順路の関係で出口専用と利用されていています。門を出て左に進むと守礼門に戻ります。

 

有料区域から木曳門ルート

有料区域からは右掖門から久慶門に抜けるルートが一般的ですが、奉神門から無料区域に戻っても大丈夫です。

 

 

この場合は来た道をそのまま戻るのではなく、木曳門に向かうルートがおすすめです。また有料区域には入らずに戻る場合も同様です。

 

京の内

下之御庭の南側に広がる森は京の内(きょうのうち)と呼ばれるエリアです。首里城内にある十嶽と呼ばれる10ヶ所の御嶽のうちもっとも重要な御嶽があったそうです。

 

 

城内最大の聖域空間だった京の内は御嶽の多い首里城内でもっとも強いパワースポットと言えるでしょう。現在では道が整備されていますが当時は鬱蒼とした森だったようです。

 

西のアザナ

 

下之御庭から木曳門に向かう途中に左側に進むと西のアザナがあります。

 

 

西のアザナは西側の物見台で慶良間諸島まで見渡せます。現在では那覇市内を一望でき、写真の中央あたりが沖縄県庁や国際通りのある場所です。

 

木曳門

 

木曳門(こびきもん)は普段は石でふさがれており門が開くのは首里城の修理をする時のみだったとか。この門から木材搬入したことから木曳門と名付けられたそうです。

 

首里杜館

首里城のインフォメーションセンターで、レストラン、お土産屋、休憩所などが入る施設です。

 

 

地下1階と2階は駐車場になっています。

 

 

アクセスと基本情報

 

 

ゆいレール首里駅からから守礼門まで徒歩約15分

 

レンタカーの場合は首里城周辺に駐車場が10ヶ所以上あります。

 

 

開園時間:

無料区域

4月〜6月 8:00〜19:30

7月〜9月 8:00〜20:30

10月〜11月 8:00〜19:30

12月〜3月 8:00〜18:30

 

有料区域

4月〜6月 8:30〜19:00

7月〜9月 8:30〜20:00

10月〜11月 8:30〜19:00

12月〜3月 8:30〜18:00

 

休場日:

年中無休

(7月の第1水・木曜日は有料区域のみ休場)

 

入場料金:

大人 820円

中人(高校生) 620円

小人(小・中学生) 310円

6歳未満 無料



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南西諸島 沖縄本島

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